【父が不在のまま始まった命】

マナーモードにした机の上の携帯が、小さく震えている。

母からだ。

「はい、もしもし」

「あっ昨日はありがとう」

「こちらこそ。体調、大丈夫?」

「大丈夫」

昨日、母の病院に付き添った。
医師から病名の説明があったためである。
朝から夕方までかかり、お互いに疲れた一日だった。

病名はパーキンソン病だった。
医師は画像を見せながら言った。

「これが健康な人の画像」
「こちらが平良さんの画像。違い、わかりますよね」
「パーキンソン病のため、この部分が働いていないんですね」

わたしの名前はミキ。
沖縄で生まれ、沖縄が日本に返還される前に大阪に来た。

パスポートには、母とわたしを含め、きょうだい三人の写真があった。
この写真の中に父がいないことは、不思議ではなかった。

わたしを身籠ったのは、父に会いに行ったときだった。
家にお金を入れてもらいたい話し合いも含めて大阪にきたのだが、のらりくらりとはぐらかされ、月日が流れ気がついたら妊娠していた。

女のところへ入り浸る父の不在が続き
実家沖縄へ戻るしかなかった。

何が起きるかわからないときのために帰省する運賃だけは残して置いたことは正解だった。

沖縄に帰りすぐに、産院を探すも臨月を迎えた妊婦を受け入れる先はなかなか見つからなかった。それに加え田舎なので、豊富に病院があるわけではない。
母の焦りはいうまでもなく、何度も病院にお願いした。

「どうか、産むだけでもいいから産ませてほしい」

頑張ってお願いした甲斐があり、なんとか受け入れてくれる産院は見つかった。
無事に出産したものの、次の日には退院、本当に産むだけの場所だった。それでも、ありがたかった。
へその緒が取れたか取れないか、グチュグチュしたままのおへその消毒を毎日母は欠かさなかった。
名前は母が好きなミキとつけた。

ミキはミルクを飲む力が弱く、睡眠不足に拍車がかかっていた。
産後、十分に休めていない身体はボロボロだった。

実家に帰ってきたといっても、両親は働きに出ているため
1人で子育てすることには変わりなかった。
畑仕事から帰ってくる両親にご飯を作り、休む間もなかったけれど、ミキと一緒に寝る場所があったことだけでもありがたいと思うようにした。
ミキが少しずつ成長していくと、母はミキの兄姉のことを考える時間が増えていった。

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